3 大阪の都市計画について

大阪は太古に難波宮が築かれた都市であります。そして昔から、国際交流の窓口として、アジアを中心とした海外との交流の門戸であり、難波津の船の航路を示すのが、今の大阪市の市章「みおつくし」の由来でもあります。

蓮如により築かれた大坂御坊は、石山本願寺として栄え、後に豊臣秀吉により築城された大坂城により城下町として発展していきましたが、江戸時代には、「天下の台所」として、経済の中心でもあり、先物取引などが開始された地であります。近世においても、独自の文化を生み出し、井原西鶴や近松門左衛門といった文人を輩出し、文楽や歌舞伎などの文化を生み出してきた地であります。

また、大阪は、適塾や、町人による町人の学校、懐徳堂が生まれた、学問の地でもありました。大阪経済の生みの親は「五代友厚」であり、今の証券取引所の前進の大阪株式取引所の設立や、糸綿・木綿取引所の開業など、商都大阪の礎を築いてまいりました。

その後、近代には、「第7代大阪市長 関 一」(せき はじめ)により我が国初の公営による地下鉄の開通や御堂筋の建設、また大阪港の建設や中央卸売市場の開設、我が国初の市立大学の設置や大阪城天守閣の再建などが行われ、当時の大阪市は近代日本の都市経営のパイオニアでありました。「関 一」市長は、大大阪をめざし、大阪市のまちづくりを都市計画の基に築き上げました。その根底には、都市はどうあるべきかとの信念がありました。

このように大阪市は、時代を見渡す先見性と創造力にあふれた都市計画のもとに築きあげてこられた、我々の先達の大阪市民と行政や議会が一体となって作りあげてきた「まち」であります。昔から、市民が自ら作り上げてきた都市であり、独立・進取の気風にあふれた活気のある都市でありました。

その大阪の基礎を築いた「関 一」市長は、日本で最初に「都市計画」という言葉を使われました。そしてその信念は、「住み心地良き都市」であります。先人たちが築き上げた、この大阪の歴史・伝統・文化を守り、商都大阪としての都市インフラの整備と共に、混乱した教育現場の建て直しや地域コミュニティの新たな展開を、新しい都市として、未来に向けた新たな歩みを進め、「創造的な改革」に取り組むべきです。

                          平成28年3月

 


 

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はじめに

政策提案

政策理念
1 この自然に恵まれた我が国
2 大阪都構想に関して
3 大阪の都市計画につい
4 大阪IR誘致について

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1 本会議 代表質問 質疑  
2 本会議 討論
3 委員会 質疑 交通・水道

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